shine


ある財団のレジデンスプログラムで私はいわきに半年間滞在する機会を得た。滞在中、街を歩き回ったり、いろいろな人と触れ合った。震災後何度か訪れたことのあるいわきであったが、長期で滞在するのは初めてだった。滞在初日の夜、夕飯を食べようとふらりと入った大衆食堂で、作業員風の男がおかみさんに金額の記載のない領収書を催促して断られているのを見かけ、何となくこの街の現状が把握できた。私が常宿にしていた駅前のカプセルホテルには作業員風の男が多く、常連の中には明らかにおじいちゃんという年齢の人もいた。その人が夕飯にいつもカップラーメンとおにぎりを食べていた光景が忘れられない。いわきの街中は私が想像していたよりも高級車が多く、普段なかなか出くわさないような高級な車も何台か見かけた。夜のいわきでは、飲み屋で東電の下請けをしていて原発事故が発生したときに第一原発にいたという人と知り合いになった。小名浜では震災後この辺りで作業をしていたという消防士やお店とともに自分も流されたという海鮮食堂を営む主人にも出会った。小名浜での出会いをきっかけに、富岡町からいわきに避難してきたというお寺の住職を紹介されその周辺の人たちにお会いしてお話しする機会も得た。いわき在住の知り合いの作家に少し前に通れるようになったという常磐自動車道を通って南相馬まで行き、帰りに国道6号線を通って原発まで数キロのところまで連れて行ってもらったときは少し怖かった。何度か足を踏み入れたことのある原発周辺ではあったが、実はその日そこまで行くと知らなかったので何の準備もなく少しびびった。私は震災後何度も福島に通ってみた。作家として日本人として福島の現状を見ておきたかった。私が行ったところで何になる訳でもなく、自ら危険に身を置くだけの場合もあるのだか衝動を止めることができなかった。
写真は現実をより残酷に見せたり、逆にそうでもなく見せたりする。私がこれまで福島に通って体験して見てきたものと、撮ってきた写真とのギャップは計り知れない。現実はきっともっときれいである。この作品では、私が撮ってきた写真には写っていない福島の光を感じていただければ幸いだと思っている。

魚介類販売業の板前さん

海鮮食堂の女将さん

自動車修理工場の従業員

大工さん

自動車修理工場を営んできた人

店と共に流されたという海鮮食堂の店主

海鮮食堂の店主の妻

小名浜で活動していた消防士

富岡町にあったお寺の住職の妻

個人で炭鉱資料館を運営している人

震災時第一原発で働いていたという人

久之浜に住んでいた人

夫が美容師だという人

山の中でギャラリーを運営する人

店が燃えてしまったというインドカレー屋の店主

復興住宅に住む足の悪いお祖母さん

ヒューム管工場で働いている人

震災後三回転校したという小学生